達人から’合気’を学ぶことが難しい理由〜技の要点は次第に見えなくなる〜

雑記

「三年勤め学ばんより三年師を選ぶべし」という諺があります。

良き師の下で学ぶことの大切さを説いたものですが、’合気’に関していうと、
良師につくことで見えにくくなる部分もあるのではないかと思います。

良師をどう定義するかにもよりますが、’合気’の場合、多くの人は
達人と呼ばれる人の下で学ぶことを望むのではないでしょうか?

私自身もそうで、達人から学びたいと考え、現在の道場に入門しました。

良き師の下で修行出来たおかげで今があると考えていますが、
今、入門した頃のことを振り返ると思うところがあります。

入門して何年経っても’合気’が何なのか分かりませんでした。

その当時は、’合気’は難しいものだという考えがあったので、
それを疑問に思うことはありませんでしたが、
今考えると、もう少し早く理解が進んでも良かったと思います。

では、なぜ理解が進まなかったのでしょうか?

当時の稽古風景を撮影した動画を見て、その理由が分かりました。

現在の私がその動画を見ると、師は技を見せた上で十分な技の説明を
行っている様に見えます。

しかし、それは技の要点が分かっている状態で見ての感想です。

師はさりげない動きで技を行なっており、要点が分かっていない
当時の私がその技を見ても、引っ掛かりを覚えることはなく、
何も気付かずに見逃してしまいます。

稽古してきて思うのですが、技の要点というのはだんだんと
目に見えなくなるものの様です。

一番目に見えるのは、その技を習得しつつある時で、
そこを過ぎると次第にその要点は見えづらくなっていきます。

そのため、技の要点を学ぶのであれば、達人ではなく、
今習得しつつある、未熟な人の方が学びやすいです。

つまり、達人からではなく、達人の弟子である道場の先輩の動きから学ぶのが、
理屈的には学びやすいことになります。

とはいえ、未熟な時分では、誰が正しく稽古を積み、技を身に付けつつあるのか
判断がつきません。

結局は、達人に焦点を合わせて学ぶしか出来ないことになりますが、
もし仮に、弟子の中でも頭角を現しつつあると思える先輩がいるのであれば、
一度その人に焦点を合わせて観察して見ると良いかもしれません。

達人の様に隔絶したところにいる人の動きからは学べなくても、
その様な先輩は、未熟であっても、技に繋がるヒントを見せてくれる可能性があります。

ただ、その先輩も時間が経てば、熟達し、技に繋がるヒントを見せてくれなくなりますので、
学ぶというのは、誰に習うかとタイミングが重要だと感じます。

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