よろずの一人言〜’合気’とは何なのかという個人的な定義について〜

合気

以前、’合気’とは何なのかということで、私が考える’合気’の定義について
記事に書かせていただきました。

それはあくまで私が学んでいる流派の’合気’について、稽古の中で
私が辿り着いた結論をもとに定義として書いたものです。

その時に書いたことというのは、現在でも私は間違っているとは考えていませんが、
稽古を重ねるうちに次第に違う定義も頭をチラつくようになってきました。

その定義というのは、’合気’とは相手を自分の鏡にして自分を写すというものです。

徐々にその様に考える様になってきましたが、正直な話、こんな観念的な捉え方を
する様になるとは思ってもいませんでした。

上記の定義については、共感してくださる方もいらっしゃれば、わけの分からないことを
言っていると一笑に付す方もいらっしゃると思います。

私自身も以前であれば、一笑に付す側の人間でした。

そんなわけの分からないものではなく、もっと具体的で誰もが納得する定義でなければ
意味がないと考えていました。

しかし、誰もが納得する定義というのは無理な様です。

稽古の段階により、技の見え方・感じ方は変わりますし、
人が変われば同じ様に感じていても表現は変わります。

そして、言葉の限界もあります。

先達が残した’合気’の定義を見ても、どの定義も正しく、しかし、
全てを定義出来ているとは言えない様に思います。

’合気’について定義しようとした場合、’合気’の一側面か、もしくは、
一部分だけをクローズアップものしか定義出来ない様です。

本来であれば、一つの定義を絶対のものとして、それを目指して稽古するのが
良いと思いますが、’合気’に関してはそれは難しいと言わざるを得ません。

ある流派では、’合気’そのものを定義するのではなく、’合気’を掛けるための原理を定義し、
それにより引き起こされる現象として、’合気’を定めています。

これは非常に上手い方法で、稽古の段階により個々人の’合気’の定義が変わっていくことを
考えると、原理と現象として定義することは非常に理に適っている様に思います。

そうすることで、個々人の’合気’の解釈を許容しながらも、
不変のものとして定めることが出来るからです。

’合気’の定義が複数あることで、現状は混乱を招いている印象があります。

これから合気系武道の修行を始めるという方は、まずは’合気’の定義は上記の性質が
あるものだと理解し、参考とするのが良いと思います。

長年’合気’を追い求めた者からすると、やはり原理と現象で定めただけでは、手掛かりが乏しく、
’合気’を理解するのは難しいと感じるからです。

色々な捉え方を知り、その中で模索するというのが良いのではないでしょうか。

それによって困惑する部分もあるかと思いますが、その時分からないものに関しては
一旦置いておき、’合気’に関する考えを狭めないことが大切だと思います。

これだと決めつけてしまうことで、見えなくなってしまうものがあります。

’合気’というのは、たぶんにそのような性質が強く、理論的に考えることで
’合気’へ至る道が閉ざされることがあります。

理論は確かに存在しますが、それは’合気’の技をその身に受け、稽古する中で
多少の’合気’の技が出来る様になった時に見えてくるものです。

理論的に考えた先にはありません。

稽古をしていると、’合気’とは何なのかという問いが常に頭をもたげてきます。

そうして、各々で’合気’を定義していくことになりますが、それが間違っていないかの
もの差しとして、原理と現象と照らし合わせて確認するというのが良いのはないかと思います。

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