人は見たいものしか見ない〜技を理解する上での注意点〜

上達論

他武道を経験された方などに多いように思うのですが、その流派の技を
今まで自分が学んだ武道の技術に置き換えて、理解しようとする方がいます。

人は何かを理解しようとする時、今までの自分の経験と照らし合わせて
理解しようとするので、そのように理解を進めたくなる気持ちは分かりますが、
そのように他の武道の技術に置き換えて、理解を進めることはしない方が良いと思います。

同じ技術であれば、置き換えて理解することに問題はありませんが、
違う技術であった場合、正しく技を理解することが出来ず、
誤った方向で修行することになってしまうからです。

これは私の知人の話になりますが、私の学んでいる流派の’合気’を’気’で
理解しようとする方がいました。

その方は気功を学んでおり、’合気の技’についても’気’で行っていると考えていました。

しかし、私の師は、’合気’を’気’では説明せず、具体的な技術として説明される方でした。

’合気’を’気’で説明している流派もありますので、’気’で理解することで、
’合気’を身に付けることも出来るのかもしれません。

これに関しては、私は’気’が分かりませんので、実際のところは分かりませんが、
私がその知人を見ていて思ったのは、師が’気’以外で説明しているのであれば、
まずは、その説明の通りに理解するべきではないかということでした。

他の考え方を持ち込んで理解しようとすると、正しく物事を捉えることが
出来なくなると思いますし、私にはその知人が’気’を妄信しているように思えました。

’合気’の技についても、’気’に通じるところを一生懸命に探して、
それで納得しているように見えました。

人は誰でもそうなのかもしれませんが、自分の見たい(信じたい)ものしか
見ない(信じない)ように思います。

’合気’については、私も学び始めた当初、全く理解出来ませんでした。

そのため、’合気’とは何だろうと随分悩んだのですが、
分からないままに師の説明を聞いてきました。

結果として、それが良かったと思います。

分からないものとして、棚上げして置いていましたが、
気付けば、自分なりに’合気’についての考えが出来上がっていました。

私がこれについて良かったと思うのは、分からないものとして
置いておいた結果、師の言葉を素直に受け取ることが出来たと思うからです。

もし、’気’などの他のものに当て嵌めて考えてしまっていたら、
師の言葉もそれに置き換えて捉え、実際に師が言わんとすることを
理解出来なかったような気がします。

人は、物事を自分が見たいようにしか見ません。

一度自分が作ったフィルター越しに物事を見てしまうと
正確に理解するということが出来なくなってしまいますので、
その流派の技を学ぶ場合は、自分をまっさらにして、
フィルターを作らずに理解するよう心掛けることが大切だと思います。

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