今回は、私が’合気’を学ぶ上でやってはいけないと
思うことについて、書いてみようと思います。
他の記事でもすでに書いていますが、
合気の技は誰にでも掛かるというものではなく、
腰が引けていたり、攻める気のない人には掛かりません。
腰が引けている状態というのは、その人本来の力を発揮出来ない状態ですし、
攻める気がないというのは、こちらを害する気が無いということです。
そのため、そのような人には、本来、技を掛ける意味はなく、
取りの人からすると、’合気の技’が掛からないとしても、特に問題はありません。
しかし、上記の様な癖がある人にとっては、大きな問題があります。
私も合気系武道の修行を開始して、随分と経ちましたが、
その間に様々な方とお会いしてきました。
その中には、真面目に道場に通っているけれど、
残念ながら合気が全く理解も習得も出来ないという方もいます。
合気が習得出来ない原因というのは、人により様々ですが、
私には、それらの人達に共通しているのではないかと思う癖があります。
それは、受けの際に自護体となる癖です。
ここで私が言う’自護体’には、気持ちと身体の2つの意味があります。
すでに書いている様に、気持ち的な意味としては、相手を攻める気がなく、
一歩引いた様な心持ちで、護りに入っているということです。
身体的な意味としては、腰を引いている状態で、こちらも相手を攻める状態と
なっていないということです。
この癖は、本人にとっては無自覚な場合がよくあります。
合気系武道でよく行われている掛かり稽古の場合、自分から相手との距離を詰めて、
向かっていくという動作をしているために、気持ち的には一歩引いた状態で
あったとしても、相手を攻めていっていると錯覚してしまいがちです。
また、受けの際に腰が引けていた場合、腰が入っていないために身体の力は使えず、
腕力を使うしかないわけですが、本人からすると腕力を使っているために、
力を使っているという確かな手応えを感じることが出来ます。
本人としては、気持ち的にも身体的にも相手をしっかりと攻めていると
勘違いをしてしまうわけです。
私の知人には、10年以上稽古しているにも関わらず、’合気’が全く分からない人がいます。
10年以上稽古していると、たいていは’合気’とはこういうものだという、
朧げな輪郭は見えてきますが、その輪郭も分からないようです。
なぜそのような状況になるのか分からず、しばらく観察し、原因を考えましたが、
私の結論としては、受けの際に自護体になる癖があるためだとなりました。
自護体となっているために、’合気’の技を掛けられても正しい技の掛かり方とならず、
そのために、’合気’の理解があらぬ方向にいってしまったのだと思います。
’合気’を掛けられた時の反応は、人により違います。
それは、その人の体質による部分もありますし、
技を掛けられる時に気持ちも身体も相手をしっかりと攻めることが
出来ているかによっても変わります。
その時の状況により変わるため、同じ人でも反応は変わります。
正しく技を受けるということは、本来難しいことだと思いますが、
正しく技を受けることが出来なければ、いつまで経っても、
’合気’が分かることはありません。
そのため、受けを取る際には常に自護体になっていないか確認する
ということが大切だと思います。
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