‘合気’という言葉に、ある種の浪漫を感じ、私はこれまで稽古をしてきました。
年齢・性別・体格の差を覆す、その技術を求めて、稽古を続けてきたわけです。
では、’合気’とは一体何なのでしょうか?
’合気’については、多くの先達が、それぞれに様々な定義をされています。
その定義は、流派・会派によっても違いますし、個々人によっても違います。
私には、それらの定義が全て同じ現象を指していて、
個々人の見方により、違う言葉で表現されているのか、
それとも、全く別の現象をそれぞれが’合気’と定義しているのかは分かりません。
おそらく、同じ現象をそれぞれの言葉で定義している場合と、
全く別の現象を’合気’と定義している場合が混在していると思います。
そのため、今更ここで’合気’という言葉を定義することに意味はないかもしれませんが、
一度私の頭の中の考えを整理する意味で、現在の私の’合気’の定義について、
書いてみたいと思います。
人を投げようとする場合、方法はいくつかあります。
単純に力でその人を持ち上げて投げるという方法もあれば、
関節を極めて、相手が耐えられない様にして投げる方法。
基底面という考え方もあり、基底面の外に重心線を持ってくることで、
相手が立っていることが出来ない様にして投げるという方法もあります。
基本的には、どの武道・武術でも上記の方法のいくつかを組み合わせて、
相手を投げていると思います。
そのために相手を押した時に押し返してくるという様な相手の反応を利用したりもします。
では、’合気’による投げとは一体何なのでしょうか?
私は’合気’による投げは、こちらが与えた刺激による生理的反応で、
相手に自らバランスを崩し、投げられてもらうものだと考えています。
相手を投げるわけではなく、自分で転んでもらうという考え方です。
そのため、自分に力は要らず、箸や茶碗を持ち上げる力があれば、
十分に相手を投げることが出来ることになります。
つまり、今までの稽古を通して私が現在考えている’合気’とは、
’こちらが与えた刺激に対する生理的な反応によって、
こちらが意図した通りに自分で動いてもらう技術’となります。
相手に意図せず、こちらに協力させる技術と言えますので、
’合気’の技がヤラセだと言われることは、ある意味で正しいと感じます。
相手に自ら動いてもらうために自分が大きく動く必要もなく、
そのために力の流れが見えず、嘘くさく見えますが、
今まで稽古してきた実感としては、確かに存在する非常に有効な技術だと思います。
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