よろず

武道・武術

現代で武道をやることの意義〜武道的な身体の使い方を学ぶ〜

武道は流派により、武器の取り扱いを学ぶことがあります。日本刀などの古来、日本で使われていた武器の取り扱いを学ぶわけですが、そのことにより、昔日の日本人の身体の使い方を学ぶことが出来ます。その身体の使い方が武道的な身体の使い方であり、筆者はそこに現代で武道の稽古を行う意義があると考えています。
武道・武術

現代で武道をやることの意義〜身体で理解するということ〜

現代では何事も頭で理解するが大切だと考える風潮が強い様に感じますが、実際には頭で考えても理解することが出来ないものがあります。それらは、自身の体験によってしか理解出来ないものですが、武道もその一つであり、筆者はそこに現代に武道やる意義があると考えています。
武道・武術

現代で武道をやることの意義〜自分の内面に目を向ける〜

現代社会で武道をやることに意義はあるのでしょうか?筆者は、護身術という意味では現代社会で武道をやる意味はあまりないと考えていますが、それでも現代社会で武道の稽古を行う意義はあると考えています。現代社会でなぜ武道をやることのか、その意義について解説しています。
合気

合気と受け〜合気系武道で受けを取れと言われるのはなぜか?〜

合気系武道では、指導者から受けをきちんと取るように指導されることがよくあります。それはなぜでしょうか?合気の技を習得するためには、受けをきちんと取ることが必須となりますが、その理由と、どのような受けを取らないといけないかについて、解説しています。
武道・武術

合気よもやま話〜武道の技は一発芸とは違うということ〜

書籍やSNS上では武道・武術のパフォーマンスとして、よく身体操作を使った技が紹介され、解説されています。それらのパフォーマンスは、武道・武術のことを一般の方に知っていただくために必要なことですが、世間に良くない影響も与えている様に思います。今回は、身体操作に焦点を当てた説明の問題点について解説しています。
上達論

合気の神業と絶望〜名人・達人は凡人に絶望を与える〜

私は、幸運にも幾人かの名人・達人と呼ばれる先生方にお会いすることが出来、神業と思える様な’合気の技’を掛けていただく機会に恵まれました。その技を再現することは難しいですが、なぜ難しいのか、’合気の技’とはどういうものなのか、現在の私の考えを記述しています。
上達論

癖を無くす〜武道・武術で求められる身体の動かし方〜

武道・武術の身体の動かし方というのは、個人の身体の動かし方の癖を無くしたものだと考えています。そして、癖が無い動きというものが、人間本来の自然な動きだと思います。勿論、流派・会派により、身体の動かし方に特色はあると思いますが、基本的には、身...
上達論

ゆっくり動く稽古の重要性

長年稽古を行ってきましたが、自分では一向に上達出来ている実感が持てませんでした。もう何年も前から何も変わっていない。そのように感じていました。そうして悩んでいる時に一人稽古でやり始めたのが、ゆっくりと動く稽古です。ゆっくり動くことで、通常の...
上達論

反復練習と慣れ〜動作に慣れることと上達することは違う〜

道場の師や先輩方を見ていて思うことですが、ずっと上達し続ける方もいれば、全く変わらない方もいます。達人・名人といわれる域にいるにも関わらず、成長し続け、上達が止まらないという方がいる一方、ある時を境に全く進歩がなくなるという方もいます。未熟...
武道・武術

弱点を他の武道で補うことは出来るのか?

学生時代に合気道を始めて、しばらくした頃の話です。打撃を苦手と感じた私は、空手を習うようになりました。単純に苦手な打撃を空手で補おうと考えたからです。それぞれ稽古に打ち込みましたが、私の場合はそれが実を結ぶことはありませんでした。理想として...