書籍やSNS上では武道・武術のパフォーマンスとして、
よく身体操作を使った技が紹介され、解説されています。
身体操作による説明は、武道を経験されていない方にも納得してもらい易いため、
それらのパフォーマンスがよく行われているのだと思います。
このこと自体は、武道・武術のことを一般の方に知っていただくために必要なことです。
しかし、それらのパフォーマンスは世間に良くない影響も与えている様に思います。
私が今までに出会った人の中に居たのですが、身体操作に捉われた稽古ばかりを
している人がいました。
その人は書籍やSNSで紹介されている身体操作を一生懸命に勉強して、
稽古していたのですが、そのために自流派の技が習得出来ない状態となっていました。
世間では、様々な身体操作の技術が紹介されています。
それらの技術には、力技の域を出ないものもあれば、
素晴らしい技として成立するものもあります。
そして、いくら素晴らしい技として成立する技術だとしても、
流派によっては、相性の悪いものがあります。
前提となる立ち方や身体の使い方、戦い方が違うために
技術として統合することが出来ないものがあります。
私の知人の場合は、自流派の身体の使い方と違う身体操作を熱心に稽古していたため、
いつまで経っても自流派の技を習得することが出来ない状態となっていました。
身体操作の技術というのは、普遍的に共通する部分があることも確かですが、
流派により相性の良し悪しがありますので、注意が必要です。
また、武道の稽古を重ねてきた結果として、最近思う様になったことがあります。
それは、書籍やSNSで紹介されている身体操作の技術をいくら稽古したところで、
意味が無いのではないかということです。
多くの身体操作の技術は、一般の人がすぐに出来るコツの様なものとして、
紹介されています。
身体の○○の部分を○○の様に動かすことで技が出来るという具合です。
それらの説明は非常に分かりやすく、納得の出来るものですが、
私は武道の技としては正しくないと思います。
どんな技でもコツというのは存在しますが、
技は身体操作だけにフォーカスして出来るものではありません。
立ち方やタイミングの取り方、意識の持ち方だったりと他にも様々な要素があり、
言ってしまうと全てが大切です。
一部分だけにフォーカスして、それだけをやっても意味がなく、
技としての全体を身につけていかなければいけないと思います。
身体操作だけにフォーカスして技を覚えるというのは、
言ってみると個々の一発芸を一生懸命稽古しているようなものです。
腕を掴まれた時や胸ぐらを掴まれた時など、それぞれのパターン毎に
対応する稽古をしているわけです。
では、想定していない掴まれ方をした場合は、どのように対応するのでしょうか?
実際に危ない場面に遭遇した場合、想定した通りになることはほとんどありません。
そのため、私はいくら一発芸をたくさん覚えたとしても
実際に使えるものにはならないと思います。
想定するということは大切ですが、武道・武術の技を修めるというのは、
個々に対処する術を覚えるということではなく、1つの対処法で全てに対応する術を
身に付けることだと私は思います。
武道・武術には、型というものがあります。
それらの型は、一見して別物で、それぞれのパターン毎に対応する技を
行っている様にしか見えませんが、流派毎に共通する身体や意識の使い方、思想があります。
武道・武術を修める場合、型を通して、その共通する部分を悟り、身に付けていくことが大切で、
それぞれのパターン毎に対応している様に見えたとしても、その共通する部分が見えてくれば、
全て同じ様に対処していることが理解出来る様になります。
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