’合気’の技の稽古を重ねていると本当に’力’が要らないということが分かってきました。
正確に言うと’力’は使っているのですが、日常で使用している筋肉を緊張させて、
押したり、引っ張ったりするという様な類の力を使わないということです。
筋力による力比べをしないからこそ技となり、
相手をいとも簡単に投げることが可能となります。
武術と舞踊の関連については、昔からよく取り沙汰されていますが、
私も段々とその関係の深さを実感する様になってきました。
姿勢としなやかな動きが必要なため、それを求めて稽古していると、
舞を舞っている様な感覚に陥ります。
’合気’の技が要求する動きというのは、やはり昔から言われてきたように
舞踊と本質的に同じなようです。
’合気’の技を上達させるには、舞踊と同様、頭の天辺から指先、爪先まで神経を行き渡らせ、
身体の各部分をしなやかに動かせるようになることが重要だと思います。
突き詰めていくと、’合気’の技が要求する動きというのはレベルの高いものです。
それは人間本来の自然な動きですが、それを身につけるためには、
丁寧に身体を動かす稽古を行う以外にありません。
そして、対人でその動きをしなければ技にならないところに、
’合気’の技の難しさがあります。
極端な話になりますが、例えば、相手が手にナイフを持って襲い掛かってきた場合に
その場で舞を舞うことが出来るでしょうか?
襲い掛かってくる人をどうにかしようとした場合、多くの人はナイフを持っている手を
抑え込もうとすると思います。
そちらの方が直接的に相手をどうにかしようとする動きとなりますので、
心理的に怖くありません。
しかし、’合気’の技の場合は舞を舞うような動きをすることで相手に技を掛かけます。
相手に作用する動きをしているため、手段としては直接抑え込む行為と何ら変わりませんが、
力を込めずに行う舞を舞う様な動きは、感覚的には無防備な状態を晒すようで、怖さがあります。
一人しかいない状況なら、舞いを舞うことも難しく無いと思いますが、
相手が襲い掛かってきている中で舞いを舞っているように動くというのは、
中々出来ることではありません。
通常、目の前に人が居て、その人を意識するだけでも自分の動きというのは変わっています。
意識しただけで無意識に動きが固くなり、技が要求する動きからは外れます。
個人的な感想としては、’合気’の技というのは常に刺される覚悟が必要に思います。
怖がって身体に力が入ると技になりませんので、その怖さを乗り越えるために
刺されても良いというある種の開き直りが要ります。
詰まるところ、’合気’の技というのは精神力の技であると私は感じます。
稽古を重ね、技術的に上手くなったとしても、それだけで技は出来ず、
また自分が有利になることもありません。
常に五分五分だと思い、気持ちで負けることが無いようにすることが大切です。
合気’の技は、自分の精神状態がそのまま技に出ます。
力を使わないからこそ、怖さで萎縮した心と身体を力で誤魔化すことが出来ません。
その代わりに体格や年齢、性別の差を覆す事が可能となりますが、
技を成すためには精神力と技術の両方が必要です。


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