稽古を行う際に、師からは丁寧に稽古する様に指導されてきました。
私自身は、稽古を雑にやっているつもりはなく、丁寧に行っているつもりでした。
しかし、何度も何度も同じように指導されてきました。
丁寧に行っているつもりなので、何故そのように指導されるのか、全く分かりませんでした。
それでも稽古を続け、技の何たるかが朧げながら理解出来てきた時、
何故師からその様に指導されるのかが分かりました。
確かに私は、自分の動きに意識が行き渡っておらず、
雑な動きで技を行なっていました。
手を上げたり、下げたりする簡単な動作でも、本来は難しい動作です。
誰でも出来る動作ですので、通常意識にも上らないと思いますが、
自分で観察しながら動作を行うと変なところに力が入っていたり、
スムーズに動かせていない部分があることに気付くと思います。
そのような部分は、手を上げたり下げたりする動作をした場合に
意識が行き渡っておらず、雑な動きとなっています。
武道・武術の稽古は、自分の身体を意のままに使える様にする訓練ともいえますので、
自分の体に意識が行き渡っていない状態でただ動作をやったとしても何も変わりません。
ただ、今まで出来ていたことを繰り返しやっているだけで、そこに進歩はありません。
稽古を丁寧に行うということは、自分の身体の動かし方に気を配りながら動作を行い、
それにより少しずつ自分の身体を意のままに動かせる様になることだと思います。
後から考えると至極当たり前のことでしたが、当時の私は技の形や相手に気を取られ、
自分の身体への意識はおざなりになっていました。
そんな私の稽古は、師から見ると酷く雑に行っている様に見えていたと思います。
自分の身体に意識を行き渡らせ、どのように些細な動きであってもおざなりにせず、
丁寧に丁寧に稽古することが大切だと感じます。
稽古では相手がいますので、ついつい焦ってしまいますが、慌てて技をやっても
雑な動きにしかならず、精妙な動きを必要とする’合気’の技になり得ません。
焦らず、心に少しの余裕を持って稽古に臨むことが必要なのだと思います。


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