武道の魅力とは何か?〜際限がない技の世界の面白さ〜

合気

何気なく日常を過ごしていると、ふとした拍子に
なぜ武道の稽古をしているのかと自問自答することがあります。

武道をやらなくても生きていくことは出来るわけで、
なぜこんなに時間を費やして稽古をしているのかと考えてしまうわけです。

現代で武道をやる意義は色々とありますが、意義があると分かっていたとしても、
それだけで武道の稽古を続けることは出来ません。

仕事が忙しい時もあれば、体調の悪い時もあります。
そんな時には道場から足が遠ざかります。

そして、一度道場から足が遠ざかると、中々復帰出来なくなります。

私も道場から足が遠かった時がありますし、
道場の仲間には、そのまま道場をやめてしまった人もいます。

だからこそ、武道の稽古を続けている理由を考える時があります。

では、なぜ私が武道の稽古を続けてきたかというと、追い求め、辿り着いた技に
常に感動があり、面白かったからだと思います。

私は、年齢・性別・体格に左右されない技を求めて武道を始めました。

小柄な老人が体格の良い若者を軽くあしらう、そんなことが可能な技を求め、
武道の稽古を続けてきたわけです。

武道を始めてからしばらくは、そのような理想を求めながらも、
どうしたらいいのか分からず、ただ時間だけが過ぎていきました。

自分なりに体格の差を超えられるように色々と工夫して稽古をしましたが、
結局は、これでは体格の差を覆すことは出来ないと自分で駄目出しするということを
繰り返していました。

今振り返ると、初めに習った武道にもそのような技術はあったのですが、
未熟だった私には、それが分からず、仕事の関係で引っ越したタイミングで
別の武道を始めました。

そうして辿り着いたのが、今でも稽古している道場の技です。

初めて技を掛けられた時はわけが分かりませんでしたが、
力ではなく投げられるのがただただ不思議でした。

そして、ありがたいことに、その技は受ける度に感動のあるものでした。

技を習い始めても、長い間、私は一向に上達せず、何も出来ませんでした。

技の理屈がわかることと出来るようになることは全く別で、
こうしたいという理想はあっても、全然近づくことは出来ません。

しかし、それでも稽古を続けることが出来たのは、技を受けた時に
これは凄い技だという感動が常にあったからです。

普通であれば、技を受け慣れてくるにつれて、そのような感動も
無くなりそうなものですが、師の技の進歩が止まらなかったため、
技を受ける度に常に感動がありました。

技の世界というのは、本当に際限が無いものだと身体を通して
実感させていただいたと思います。

ようやくではありますが、私も少し技が出来るようになってきました。

そうすると自分の技はまだまだ磨けるところがたくさんあり、
これからもまだまだ上達することが出来ると感じます。

技には際限がなく、ずっと磨いていくことが出来る、
それが武道の魅力であり、面白さなのでは無いかと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました