取りと受けの関係〜受けが出来ない人は’合気’が出来ない〜

上達論

私の経験上、受けがきちんと出来ない人は’合気’の技が出来ません。

あくまで、私の学んでいる流派の’合気’の技に関してですが、そのように思います。

その理由は、正しく受けが出来なければ、技への理解を深めることが出来ないということも
ありますが、取りも受けも求められる身体の使い方や意識の使い方が同じ
だからです。

そのため、受けが正しく出来ないということは、取りでも正しく技を行うことが
出来ないということになります。

私は取りと受けは、互いの鏡になっているようなものだと考えています。

受けも取りもどちらも正しく出来る人同士で稽古を行なった場合、
正しく技を掛ければ、正しく技が掛かり、
間違った技の掛け方をすれば、技が掛からないという
至極当然の稽古をすることが出来ます。

姿見鏡で自分の姿をチェックするように、
相手を通して自分をチェックすることが出来るわけです。

そのような稽古を実際に行うのは難しいですが、可能であれば、
そのような稽古を持続的に行うことが出来れば、技を身につけ易いと思います。

他の記事でも書きましたが、腰や身体が逃げていると合気の技は掛かりません。

初心者の場合、受身に慣れていないために、受身を取ることが怖くて、
腰や身体が逃げているということがあります。

これは、受身に慣れるまで、誰もが通る仕方のないことだと思います。

しかし、まれに相手に投げられないことで勝ったように思うのか、
頑なに受身を取らない人がいます。

そのような方の場合、大体が腰や身体が逃げています。
受身を取らないで済むように、腰や身体を逃がしています。

本人は気づいていませんが、それは受けの時だけでなく、
取りの時にも同じ状態となっていますので、合気の技が出来ません。

受けの癖が取りの時にも出てしまっています。

また、そのような受けを取っていると自分に変な癖がつくだけでなく、
取りの人の稽古にもなりません。

残念なことですが、そのような人は一定数います。

これは、受けで忖度しないといけないという話ではなく、
正しく稽古しないと稽古にならないということです。

忖度をするのではなく、お互いの稽古になるように心掛けて、
行うことが大切だと思います。

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