経験からの再発見〜合理性を追求した先に合気なし〜

合気

武道・武術には、様々な流派が存在します。

そして、それらの流派には’合気’の技があるところとないところがあります。

’合気’を謳っていない流派でも、合気の技を行なっていると感じる流派もあれば、
’合気’を謳っている流派でも、合気とは全く違う術理で技を
行なっているように思う流派もあります。

誤解されないようにお願いしたいのですが、
流派の優劣の話をしたいわけではありません。

’合気’も一つの技術に過ぎませんので、’合気’の有無で流派の優劣は決まりません。

ただ、ここで私が話題にしたいのは、’合気’という技術の特異性です。

私は、この特異性が、合気習得の見えないハードルになっているように思います。

現代では、様々な流派の情報が動画などで簡単に手に入ります。

動画だけでその流派を理解しているように語るのは浅はかだと思いますが、
それでも色々と考えるヒントにはなります。

ある流派の動画を見ましたが、その流派の技は、私にはとても合理的に見えました。
しかし、’合気’というものは使用していないように思いました。

そして、その技術を極めていっても’合気’にはならないだろうと感じました。

矛盾した話に聞こえると思いますが、私が長年稽古を続けている流派の合気は、
とても理に適った合理的なものです。

そのため、合理性を追求していけば、’合気’を使用した技術体系になるように
思っていましたが、そうはならないパターンがあるようです。

辿り着く先が違うというのは、それはそれでいいのですが、
なぜ違うのか気になったので、その理由を考察してみました。

’合気’は一見これが役に立つのかと思うようなことを利用しますが、
それは理論的に考えて行う力学的なアプローチでは、試す可能性が低いのではないかと思います。

そのため、理論的に考えて取り組んでも、’合気’という技術は見つからない様に感じます。

例えると、’合気’は科学の実験で失敗した結果を元に他のものを生み出すようなもので、
色々試行錯誤した結果、使えそうにないものが実際は凄く使えるものだと
発見して技術的にまとめた技術だと思います。

対して、’合気’を使用しない流派の技は理詰めで考えて辿り着くように思います。

理論を考えて、その後で行った実験でその通りの結果が出る。
理論と実験の結果が一致しているため、何も疑問に思わない。

そのため、’合気’に繋がる要素が見つからないというわけです。

現在は、先達が伝えてくれた’合気’に関する情報がありますので、
全てを試す必要はないのですが、合気を習得しようとするなら、
’合気’に関することを自分で試し、その経験の中から先達が見つけたその技術を
自分の手で再発見する必要があります。

ここで’合気’を習得する上で障害となるのは、通常、自分で試すものは、
自分の中の常識に縛られたものになることです。

自分の頭で考えていると、それまで生きてきた固定観念に縛られた範囲でしか
技を試さないために、’合気’が見つからないという状況が発生するのだと思います。

’合気’を身につけたいのであれば、先達の助言を元に自分の中の常識に縛られずに
様々なことを試す必要があると感じます。

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