武道を学んでいる人間からすると’合気’という言葉は、
不思議な技の代名詞です。
小柄な老人が、体格に優れる若者をいとも簡単に投げ飛ばす。
性別も年齢も体格も超越する技法。
そのようなイメージだと思います。
しかし、’合気’という技法には、不可解な点があります。
現在では各流派・会派の師範が、’合気’について説明をされています。
ここでは各流派・会派の師範により語られる’合気’の内容については、言及しませんが、
同じ’合気’を説明しているにも関わらず、全く別物に思えるものがあります。
師と弟子で違う場合もあれば、兄弟弟子で違っている場合もあります。
同じことを表現を変えて説明しているということでしたら、問題は無いと思います。
辿り着いている境地が違うから、説明が違っているというのも理解出来ます。
しかし、説明されている内容を見るに、全く違うものを同じ’合気’と言っているように聞こえます。
流派・会派により、’合気’の定義が違っていると言ってしまえば、それまでですが、
’合気’が性別・年齢・体格を超越する技の中核をなすものであるのならば、
その技法は、流派・会派の基本となるもののはずです。
その基本が違っているというのはおかしな話です。
’合気’の習得は難しいと言いますが、各流派・会派の’合気’の説明を聞くと
’合気’という技法についての伝承システムが不完全なように思えます。
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