’合気’とは、本当に面白いものだと思います。
長年稽古していても、’合気’というものが全く分からず、霧の中を彷徨い歩いているような気が
していましたが、それでも稽古を続けた甲斐があり、最近では色々なものが見えてきました。
この数年の自分の技の変化を見ると、今まで停滞していたのが何だったのかと思います。
私の場合は、拙いながらも一つの技が出来る様になったことで突破口が開けました。
一つの技が出来る様になったことで他の技との共通点が見えてきて、
そこを重点的に稽古することで出来る事が増えていきました。
その当時は気付いていませんでしたが、その重点的に稽古した部分というのは、
ずっと師から注意を受けていたところで、技の基本となる部分でした。
今考えると、なぜそれが長年理解出来なかったのか不思議でなりません。
詰まるところ、稽古というのは基本の理解を深め、突き詰めていく作業なのだと私は思います。
基本を正しく丁寧に稽古することが大切で、それが上達への早道となります。
だいぶ話がそれましたが、今回書きたいのは、’合気’の面白さについてです。
入門当初から’合気’というのは、不思議で面白いと思っていましたが、
最近は、その面白さの種類が少し変わってきました。
以前は、’合気’とは何かという知的好奇心が強く、知識として知ることに喜びがありましたが、
最近は、気付いたことに深く感じ入ることが多くなりました。
知識を得ることの喜びではなく、実感を伴って理解出来たことに対する喜びになったと思います。
この数年で私が行なってきたことは、結局のところ基本を丁寧に稽古することだけです。
しかし、基本を丁寧に稽古することで、如何に自分がそれまで無駄なことをしていたか
気付く様になりました。
余計な力を使う必要はなく、また、無駄に動く必要もありません。
必要な分だけ力を使い、必要な分だけ動けば、それで十分です。
そのためには、体に染みついた自分の身体の動かし方の癖が邪魔で、
それを無くす様に稽古をしてきました。
その様に稽古していると、何かしら新たな気付きが出てきますが、
それらの新たな気付きは定期的に訪れ、途切れることがありません。
’合気’の面白さは、一つ理解して次に進むと、更なる気付きが待っていることにあると思います。
気付きがある度に考え方やものの見え方が変わり、自分の技も変わっていきます。
気付きと共に変化があり、変化することで更なる気付きがあります。
そのループは本当に楽しく、稽古が辞められなくなります。
この数年で随分と前に進めた様に思いますが、凡才である自分は、
実際のところ、’合気’の入り口付近に辿り着いただけに過ぎないと思います。
まだまだ先があり、考え方も技もどんどん変わっていくと感じています。
’合気’には際限がない奥深い世界があります。
その世界に分け入って、技で遊ぶことが出来る。
武道としての在り方は別にして、それも’合気’というものの魅力の一つだと思います。


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