現在の私から見た’合気’というのは、非常に理路整然としたものであり、
そこに神秘はありません。
’合気’の技は理屈通りに動くことにより、当然の結果として顕れるものであり、
マジックの種も仕掛けもあるのが、’合気’の技だと私は思っています。
しかし何も知らない人から見ると、その技は素直に信じることが出来ない、
怪しいもので、ヤラセの様にしか見えません。
’合気’の技を身に付けたいと願って道場に通い始めても、
多くの人が最初にやることは、’合気’の技が本当なのか確かめることです。
あまりにも怪しいために、疑ってしまうのは無理の無いことだと思います。
疑いもなく信じるというのは危険なことですし、入門してしばらくは
私自身も技が本当なのかと疑ってばかりいました。
実際に’合気’の技を掛けられ、投げられても、何か騙されている様に感じ、
技を素直に信じることが出来ませんでした。
このプロセスはおそらく皆同じで、’合気’を身に付けた達人と呼ばれる人々も
初めは疑うところから始めたのではないかと思います。
’合気’の技を疑ってしまうのは仕方ありませんが、それらの人の中には
試す人というのがいて、困った問題を起こします。
技を疑う人の多くは、技を疑いながらも指導される通りに稽古して実際に技を受け、
その体感で技が本物かを判断します。
しかし試す人の場合は、手の取り方や攻め方を変え、どの様に対応するかを試し、
その結果で技が本物かを判断します。
この、手の取り方や攻め方を変えるというのが問題で、それをやってしまうと
稽古が成立しなくなってしまいます。
指導される通りに素直に稽古するというと、ある種の洗脳で
騙されているのではないかと考える人もいるかと思います。
その懸念は当然ですが、技を正しく伝えようとするとそうせざるを得ないというのが実情です。
’合気’の技は、正しく攻めることで正しく技が掛かります。
この前提にあるのは、いざ技が必要とされる緊急の事態に直面した時、
対峙している相手は、’合気’の技が掛かるための条件を満たしているということです。
よそ見をしながら殴り掛かってくる人はいませんし、
力が入らない不安定な体勢で向かってくる人はいません。
何かしらの害す意志を持って向かってくる相手は、
’合気’の技が掛かる状態となっています。
稽古では安全を確保し、技を習得しやすくするために、あえて条件を限定しています。
そのために手の掴み方や攻め方を指示され、その通りに稽古するわけですが、
それを理解せずに実戦で使うためにはと考えるとおかしなことになります。
試すことをする方は、何かしらの武道を経験されている方が多い様に感じます。
自らの経験をもとに、その技が使えるか使えないか判断しているのだと思いますが、
私はそれらの行為をするのはお勧め出来ません。
試す人の頭には、どんな状態であっても技を掛ける事が出来ないと
実際に技として使えないという考えがあると思います。
そのため、掴み方を変えたり、攻め方を変えたりして、
本当に使えるのかを確認しているのでしょう。
しかし往々にしてあるのが、その条件というのが自分に都合の良い
シチュエーションであるということです。
とっくに相手の間合いに入っているのに、何もせず無防備な状態で距離を詰め、
自分が試したいと考えている掴み方や攻め方をしてきます。
自分が試していると考えているからか、咄嗟に反応出来ない無防備な状態に
なっていることに気付きません。
ところが、その状態というのは実際に技が必要とされる場面とはかけ離れています。
少なくとも、咄嗟に反応出来るという状態は保つべきです。
技を疑うというのは誰しも通る道ですので、
指導している側も十分にそこは理解しています。
そのため、試しているなと感じていても、それを口に出したりしませんし、
指導者によっては、すべての人に’合気’を伝えるのは無理だと割り切り、
伝わる人にだけ本当のところを伝えようと考えています。
あえて試す人が分かり易く、納得出来る様に技を掛けたりしません。
なぜなら、試す人が納得する様に技を掛けていくと、技の本質から
離れる方向にいってしまうからです。
試す人というのは自分が試す側だと思っていますが、実際には試されており、
技の本質を掴む感性があるかという視点で指導者からは観察されています。
そして、試すことの問題の根深いところは、試し癖が直らないことです。
本人は試すことが悪いことだと思っていませんので、
いつまでも試すことを辞めません。
技の習得ではなく、試すことだけに終始してしまうことが多い様に感じます。
試す気持ちも分からなくはないですが、最初は技を疑っていても、
どこかのタイミングで技を信じるという方向にシフトしなければいけません。
技を信じることが出来なければ習得出来ないところが、’合気’技の厳しいところであり、
人を選ぶ部分だと思います。
この辺りの話は何も知らない人が聞くと、技を掛けられないために
技を掛けることが出来る様に誘導しているとも受け取られます。
しかし、そうではないということを知っていただけたなら、嬉しく思います。


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