私の学んでいる流派の’合気’には、’合気’が掛からない人達がいます。
それらの人達は、一様ではなく、いくつかのタイプに分けられます。
これらの人達のタイプについて、解説したいと思います。
今回解説するのがどういう人か一言でいうと、身体が一つになっていない人です。
相手の手首を掴んでいる時に、肩を僅かに上げたり、
腕の力を抜いたりすることで、’合気’を掛けられない状態にしています。
途中で伝達する経路が途切れているために、’合気’が掛からないわけです。
これを行う人は、意識的にやっている人もいますし、稽古年数が浅く、
身体を上手く使えていないためにその様な状態になっている人もいます。
当然ですが、このタイプの人は自分の力を十全に発揮出来ない状態に自らなっています。
意識的にこの様なことをしている人は、’合気’が掛からない状態を作って、
技に掛からないということを目的としてしまっており、
稽古の意味を考えるというところまで至っていません。
近視眼的なものの見方になっています。
本来、稽古は正しい技が身に付くように気を配りながら行うものです。
動作が決まっている型稽古であったとしても、その気配りを怠ると、
途端に稽古の意味を無くします。
武道・武術の技は、例え動作が同じであったとしても、
習熟している人とそうでない人の間には大きな差があります。
それは外見には表れてこない部分でもあるため、理解しづらい部分ですが、
技や稽古の意味を考えていると、自ずとこういうことはしてはいけないのだと気付きます。
稽古している技を実戦でそのまま使うという誤解が、このタイプの人にはあるように思います。
そのような誤解をしているために、技が掛かりにくい状態をつくり、
その状態でも技を掛けなければいけないと考えています。
実戦でもし相手が技が掛かりにく状態を作ってきたならば、普通は技を変えて対応します。
技が掛かりにくい状態というのは特定の技に対する状態であり、
当然のことながら、全ての技を防げるというわけではありません。
稽古だから技の縛りがあるのであって、実戦で自ら制限のある中で
戦うというのはナンセンスです。
合気系の武道では、よく手首を掴まれた状態での技が稽古されます。
昔の武士は、腰に刀を差しており、それを抜かせまいと押さえられた状態を
打破するための技だと説明されたりします。
この説明は間違いではないと思いますが、そうだとすると、
現代でそれを稽古する意味はあるのでしょうか?
刀を差していないために、相手が手を押さえにくるよりは、
胸ぐらを掴まれたり、取っ組み合いになる方が確率的に多いと思います。
胸ぐらを掴まれたり、取っ組み合った状態での技も稽古しますので、
不意に手首を掴まれた場合を想定した稽古と考えることも出来ますが、
そうだとしたら、手首を掴まれた状態での技が多すぎます。
実戦で想定される状況を型稽古で稽古するというのであれば、
手首を掴まれた状態での稽古は少なくなるはずです。
そう考えると、稽古している技を実戦でそのまま使うわけではなく、
使える形にして使うということになります。
’合気’の技の場合、型はあってないようなもので、
実際のところ、技を行うのに掴まれる部位は関係ありません。
相手に手首を掴まれた状態から行う技が基本となりますが、
基本を身に付ければ、掴まれる部位の違いは些細なものとなります。
そして、その基本を身に付けるためには、身体のどこかで力が途切れている人ではなく、
しっかりと繋がっている人に技を繰り返し掛けることが必要となります。
稽古の意味を考え、正しい稽古になるように心掛けて、稽古を行うことが大切です。
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