合気の稽古で大切なこと〜我を出さないようにする〜

合気

’合気の稽古’を稽古として成立させるためには、稽古に参加している人が
同じ認識を持っていることが重要です。

’合気’の稽古では、取り(技を掛けている側)はどうしても
受け(技を掛けられる側)の反応をみて、自分の動きを修正します。

受けが間違った受け方をすると、取りは間違った方向に自分の動きを修正してしまうため、
今行っている技がどういう技で、どういうふうに掛かっていかなければいけないのかということを
稽古に参加している人、全員が理解しておく必要があります。

実際には、稽古の進み具合により見えているものが違いますので、
全員が同じ認識を持つということは難しいですが、少なくとも稽古をコントロール
出来る立場の人(稽古年数の長い人)は、同じ認識を共有しておくべきです。

受けが正しく技を受け、正しい反応を返すことが出来れば、
’合気’習得の難易度は格段に下がります。

’合気’を極めるとなると、それは本当に大変なことだと思いますが、
’合気’の取っ掛かりを掴むだけであれば、正しく受けを取れる人と稽古していれば、
実はそんなに難しいことではないと思います。

しかしながら、現実にはその様な条件の整った稽古を行うことは困難です。

なぜなら、たとえ稽古をコントロール出来る立場の人達が同じ認識を共有していたとしても、
その様なあるべき姿の稽古を全員がしようとしないからです。

これは今までの私の経験からの話になりますが、どうしてもある一定の割合で、
稽古で意地悪をする人が必ずいます。

稽古として全く意味がないにも関わらず、相手に投げられない様な掛かり方をします。

そのようなことをする理由は分かりませんが、想像するに相手に投げられないことで
マウントを取っているのか、もしくは、投げられないように耐えている相手を
投げることが出来ないと無意味だと頑なに信じているのではないかと思います。

相手の稽古を邪魔するその様な行いは、独り善がりの自己満足でしかありませんので、
稽古では厳に慎むべきです。

受けを取る場合には、独り善がりな’我’を捨て、取りが自分の誤りに気付けるよう、
正しく掛かっていくことが大切です。

’合気’の技の場合、取り(技を掛ける人)が相手を投げようとすると
技を失敗することが多いです。

’合気’を掛けるためには、身体から余計な力が抜けていなければいけませんが、
相手を投げようとすることで力んでしまい、相手に’合気’が掛からず、技に失敗します。

相手を投げようとして、ムキになり、技に失敗するというのは、稽古でよくある光景です。

また、’合気’の技の場合、相手を投げている時に手応えはありません。

手応えが無いというのは、技として正しく出来ていますので、本来であれば問題ありませんが、
人とは不思議なもので、手応えが無いと不安になり、手応えを求めます。

相手を投げたという実感が無いために、実感を求め、その結果、自ら技を崩します。

相手を投げようとして力むことも、手応えがないことで不安に駆られて技を崩すことも、
必要のない’我’が出た結果です。

取りを行う場合、相手を投げようとムキになったり、自分の不安から技を崩すことのないよう、
’我’を無くして取り組むことが大切です。

ここまで書いたように、稽古を行う際には、受けも取りも’我’を出さないことが意味のある稽古を
成立させる上で重要となります。

そのため、稽古は、己の感情に支配されることなく、極めて理性的に行わなければいけませんし、
それは、稽古に参加している全員に求められるものだと思います。

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