名人・達人は凡人に絶望を与える〜合気の神業と絶望〜

私は今までの武道修行の中で、幸運にも名人・達人と呼ばれる先生に
お会いすることが出来ました。

私が修行しているのは、合気系の武道ですので、
私が会うことの出来た先生(師)の技も’合気’を使った不思議な技でした。

技を掛けていただいた際には、その技は神業のように思え、
衝撃と共に大きな感動があったことを覚えています。

そして、ここで大きな問題が発生しました。

その先生に憧れ、同じ技を自分も出来るようになりたいと願い、
一生懸命稽古に励みましたが、一向に技が出来るようにならないのです。

師からは、懇切丁寧にご指導いただきましたが、全く技が出来ません。

そもそもの話、どのようなステップを刻めば、
師に近付けるのかも全然分かりませんでした。

山頂に向かいたいのに途中で道が途切れ、
どうやって登ったらいいのか分からない。

そんな感じでした。

技量があまりにも隔絶すると、本当に途方に暮れるしかなく、
それは絶望といえるものです。

私以外の方も同様で、道場では先生しか技が出来ないという状況でした。

先輩方も誰一人技が出来ず、また、先輩方が教えてくださる内容も
よくよく吟味すると師の教えとは違っています。
(誰も師の技を本当に理解出来ていないので、当然といえば当然です。)

その当時は、本当にどうしたら良いのか全く分かりませんでした。

師の技がなぜ出来ないのか、ずっと不思議でしたが、
結局は色々なことがある一定のラインを超えて出来ないと技にならないためでした。

立ち方・タイミング・身体の動かし方など、技を行う上で様々な要素がありますが、
それぞれがある一定のレベルを超えないと技として成立しない。
やり方やコツの問題ではなく、総合力が必要な技でした。

合気の技の場合、それぞれの技に難易度の違いもありますが、
基本的には、ある程度のバランスで全てのことが出来る必要があります。

そのため、焦らずに時間を掛けて修練を積んでいかなければなりません。

名人・達人というのは、凡人に対し、ある種の絶望を与えますが、
それでも諦めなければ、時間が掛かっても近づくことは出来ると思います。

どうすれば上達出来るのか分からない場合、まず諦めず、しぶとく稽古を行う。
そして、ひたすら先生を真似て、総合力を上げていく。

今でも師は遠い存在ですが、諦めずにしぶとく稽古に取り組んでいます。

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